鳩山会館
HATOYAMA HALL
鳩山一郎が首相当時、第二応接室が重要な政治の舞台となった。
鳩山一郎が首相当時、
第2応接室が重要な政治の舞台になった。


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鳩山会館の歴史

美術的価値

建築家・中山章建築研究室主宰
中山章

この邸宅は、総理大臣を務めた鳩山一郎の自邸である。イギリス風の外観、アダムスタイル(*)の応接間、そういわれてみれば確かにそう見える。まったく違和感を感じさせない。しかし、これほど開放的な西洋館があるのだろうか。南に面したサンルームの窓は、1、2階とも4本建て引き違いのはき出し窓で、1階ではアーチ型の開口部に引き違いの戸がつき、2階には洋風の手摺と一体になった引き違い戸がついている。引き違いのはき出し窓など、西洋館にあるはずがない。考えてみればおかしいのだが、実物は至極当たり前のように建っている。開放的なのは外部に向かってだけではない。部屋と部屋とを仕切る大きな折れ戸を開け放つと、二つの応接間と食堂とサンルームのすべてが一つの部屋のようにつながってしまう。雰囲気は確かに洋風であるが、その造りはまるで和室の続き間のようである。この開放的な住宅は、当時としては珍しい鉄筋コンクリート造である。新しい技術が駆使されていた。

設計者の岡田信一郎は、大正、昭和初期に活躍した建築家である。様式建築の名手といわれ、和洋いずれのスタイルでもすばらしい手腕を見せた。若い頃からその才能は認められ、大阪中之島の中央公会堂コンペでは、29歳の若さで、なみいる先輩建築家を抑えて一等当選を果たした。岡田の遺作となった東京丸ノ内の明治生命館は、明治10年以来、西欧の建築を追い続けてきた日本における様式建築の到達点を示すものであり、同時に半世紀にわたる様式建築の歴史に終止符を打った建築でもある。それほどにすばらしい作品を残した建築家であるが、病弱であったために一度も海外へ出かけることができなかった。多くの先輩や同僚が、本場の建築をめざして出かけていくのを見ながら、岡田は日本で研鑽するしかなかったのだ。しかし、その本物を一度も見ることができなかった岡田が、様式建築の最高傑作を残してしまった。歴史の皮肉である。

19世紀末にフランスで実用化された鉄筋コンクリートの技術は、20世紀の始まりとともに世界中に広まり、耐震的な建築構法を模索していた日本でも、その新工法にとびつくことになる。鳩山邸がつくられた頃には、すでに耐震建築理論まで研究されていた。新工法の登場は、同時に、新しい建築スタイルをも求める機運をつくり出し、鉄筋コンクリート構造による、近代日本独自の新建築様式があるはずだ、といった議論が盛んになされた。当時、最も有能で博識といわれた岡田は、そういった建築に関わる状況を正確に把握した建築家であったと思う。しかし、彼がつくり出した建築は、常に過去の様式をまとっていた。そしてそのことが、岡田信一郎という建築家に対する歴史的評価につきまとう影のような部分になってしまった。結局は様式建築から抜け出せない建築家であった、と。

しかし、その評価は一面的に過ぎると思う。なぜ様式建築の天才が、鳩山邸のような様式建築のルールを無視した、開放的な住宅をつくったのだろうか。鳩山一郎はすべてを親友の岡田に任せたのだから、西欧の建築そのままにつくることも可能であったはずである。

ここからは僕の勝手な想像なのだが、岡田は考えたのだと思う。日本の気候風土や生活様式を無視した、単なるステイタスとしての洋館建築を模倣し続けていてよいのだろうか。いったい建築は誰のものなのだろうか、と。鳩山邸にその答えを読みとることができる。それは、鳩山一郎に最もふさわしい快適なイギリス風邸宅をつくること、最新の鉄筋コンクリート工法を駆使し、安全で開放的な洋館をつくることであった。岡田の出した答えの正しさを証明するように、鳩山家の人々は70年間、4世代にわたり住み続け、そして今、愛情を込めて保存された。

「私は建築のプロフェッショナルですから」岡田信一郎のつぶやきが聞こえるようだ。



(*)アダムスタイル・・・18世紀後半イギリスの軽快優雅で古典主義的な様式。イギリスの伝統に古代ローマの装飾を採り入れ古典的趣味で統一したもの。

(文・X-Knowledge 2002年3月号より引用)

岡田信一郎(おかだ しんいちろう):1883年(明治16)年生まれ。東京帝国大学建築学科卒業。大阪・中央公会堂コンペ1等当選で建築家としてのデビューを飾り、以後、歌舞伎座(1925)、日本赤十字社(1925)などの作品を手掛ける。和洋どちらの様式も見事にこなす表現力は当時の建築家の中でも群を抜いていた。鳩山一郎とは中学時代からの親友であった。1932(昭和7)年、代表作である明治生命館(1934)の完成を見ることなく惜しまれながら50歳で逝去。

中山章(なかやま あきら):1953年生まれ。建築家・中山章建築研究室主宰。東洋大学建築学科非常勤講師。木造建築・住宅を中心とした設計活動の他、'83年から昨年まで「日本建築」セミナーの講座運営も担当。著書に『近代建築小辞典』オーム社刊(共著)、『名句で綴る近代建築史』井上書院刊(共著)他。


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